世界の道路交通事情は、国や地域によって特性があり異なる事をご存知でしょうか。日本では、進行方向に向かって左側通行する、と道路交通法により定められています。また、法で定められているわけではありませんが、基本的に日本の国産車は右ハンドルです。もしも見かけた車のハンドル位置が左にあれば、輸入車と判断されるでしょう。
海外では左側ではなく右側通行で、左ハンドルと決められている国も少なくありません。海外の旅行先でレンタカーを借りて走行してみたら、道路の状況が逆転して驚いた方も多いでしょう。
こちらでは、国や地域によって異なる道路の左側通行・右側通行と、車の右ハンドル・左ハンドルについて、詳しく解説します。
各国の道路事情
日本は左側通行ですが、世界の分布を見ると、76の国(地域)が左側通行で、163の国(地域)が右側通行になっており、人口の比率では左側通行が35%・右側通行が65%、道路の距離の割合では左側通行が10%・右側通行が90%になっています。具体的な国は以下の表の通りです。
各国の道路
地域 | 左側通行の国 | 右側通行の国 |
---|---|---|
アジア | ・日本 ・香港 ・マカオ | ・モンゴル ・中国 ・北朝鮮 ・台湾 ・韓国 |
東南アジア | ・インドネシア ・シンガポール ・タイ ・ブルネイ ・マレーシア ・東ティモール | ・カンボジア ・フィリピン ・ベトナム ・ミャンマー ・ラオス |
ヨーロッパ | ・アイルランド ・イギリス ・マルタ | ・アンドラ ・イタリア ・オランダ ・オーストリア ・サンマリノ ・ジブラルタル ・スイス ・スペイン ・ドイツ ・バチカン ・フランス ・ベルギー ・ポルトガル ・ポーランド ・モナコ ・リヒテンシュタイン ・ルクセンブルク |
東ヨーロッパ | 該当国なし | ・アルバニア ・アルメニア ・ウクライナ ・ギリシャ ・クロアチア ・スロバキア ・スロベニア ・チェコ ・トルコ ・ハンガリー ・ブルガリア ・ベラルーシ ・ボスニア ヘルツェゴビナ ・マケドニア ・モルドバ ・ルーマニア |
北欧 | 該当国なし | ・アイスランド ・エストニア ・グリーンランド ・スウェーデン ・デンマーク ・ノルウェー ・フィンランド ・ラトビア ・リトアニア |
オセアニア | ・オーストラリア ・キリバス ・クック諸島 ・ソロモン諸島 ・ツバル ・ナウル ・ニウエ ・ニュージーランド ・パプアニューギニア ・フィジー ・東サモア | ・ウェーク島 ・グアム ・サモア ・トンガ ・ニューカレドニア ・バヌアツ ・パラオ ・フランス領ポリネシア ・マーシャル諸島 ・ミクロネシア連邦 ・北マリアナ諸島 |
北米 | 該当国なし | ・アメリカ ・カナダ ・サンピエール島 ・ミクロン島 |
南米 | ・ガイアナ ・スリナム | ・アルゼンチン ・アルバ ・ウルグアイ ・エクアドル ・コロンビア ・チリ ・パラグアイ ・フランス領ギアナ ・ブラジル ・ベネズエラ ・ペルー ・ボリビア |
アフリカ | ・ウガンダ ・ケニア ・ザンビア ・ジンバブエ ・セーシェル ・タンザニア ・ナミビア ・ボツワナ ・マラウイ ・モザンビーク ・モーリシャス ・レソト ・南アフリカ | 該当国なし |
中東 | ・キプロス | ・アゼルバイジャン ・アフガニスタン ・アラブ首長国連邦 ・イエメン ・イスラエル ・イラク ・イラン ・オマーン ・カタール ・クウェート ・サウジアラビア ・シリア ・ジョージア ・バーレーン ・ヨルダン ・レバノン |
中央アジア | 該当国なし | ・ウズベキスタン ・カザフスタン ・キルギス ・タジキスタン ・トルクメニスタン |
南アジア | ・インド ・スリランカ ・ネパール ・バングラデシュ ・パキスタン ・ブータン ・モルディブ | 該当国なし |
左側通行・右側通行の違いの理由
日本は左側通行ですが、その他の左側通行の国を確認すると、ほとんどがイギリスの植民地だった国で、イギリスの基準で道路や交通ルールが整備されたことが由来ではないか、という説がありました。日本はイギリスの植民地にはされませんでしたが、日英同盟によってイギリスとの関係値が深いため、イギリスの影響を受けた可能性は考えられます。では、なぜイギリスは左側通行になっていたのでしょうか。イギリスは、車が製造されるよりも前から左側通行であったと言われています。その理由には諸説あるものの、当時のイギリスの主な移動手段であった馬車を操縦する御者が、馬車中央に座り、利き手(右利き)で鞭を打っていたため、左側通行の方が馬を扱いやすかったからではないかという説があります。
日本が左側通行の理由
また日本では、「剣(日本であれば刀)を差していたのが左側の腰で、すれ違う際に鞘が当たって決闘にならないように(あるいは襲われた際にすぐに斬りかかることができるように)左側通行になった。」とする説があります。日本には「道端で刀の鞘がぶつかり、武士どうしの争いへと発展することから、つまらないことをめぐって喧嘩すること」という意味の「鞘当て」ということわざもあり、武士にとって刀は魂で、鞘をぶつけることには相手への決闘を申し込むといった意味もあったようです。
右側通行の国の理由
右側通行となっている国については、「ナポレオンの影響から」とする説があります。実際に、ナポレオンがヨーロッパを支配したフランス革命時、法令によりフランス国内外を左側通行から右側通行に変えたという記録も残っています。ただ、ナポレオンが左側通行から右側通行に変更した理由については諸説あるようです。一つ目はナポレオンが左利きで、それまでは右利き基準で剣は左に差していて、すれ違う時にぶつからないよう左側通行にしていたが、ナポレオンが剣を右に差していたため、右側通行に変えた」とする説、もう一つは軍の戦術として「当時の軍隊が右側から進軍するようにしていたため、軍事訓練の一環として右側通行を定着させた」という説があります。
右ハンドル・左ハンドルの違いの理由
日本では、自動車のハンドル位置については特に法令で決められてはいません。
左なら右、右なら左になったのはなぜか
現在は道路の交通事情に合わせて、左側通行であれば右ハンドル、右側通行であれば左ハンドルとなっている国が多いようです。これは、車の助手席に乗る人が車を降りる際、歩道側に安全に出られるようにするためというのがひとつの理由で、自動車メーカーのフォードの提案(T型フォードという車種が右側通行・左ハンドルの始まりです)でしたが、世界的に広まりました。ドライバーにとっては運転席側の方が距離感が正確にわかるため、対面交通(すれ違い)の際により安全になるという効果もあります。車道側が助手席である場合、自分の意思で車を動かすことができない助手席の人にとってはすれ違う対向車は非常に恐怖を感じることになるでしょう。
実は、フォードがハンドルを車道側に(助手席を歩道側に)する以前は、左側通行の国でも右側通行の国でも、車は右ハンドルでした。
馬車では、御者が右手(利き手)で鞭を扱う時に、左側に座ると鞭が後席(荷物)に当たる恐れがあったため、右側に座っていた方が都合が良かったことの名残です。鞭はなくなり、当時とは交通量や車のスピードなどの事情が違うため、より安全な方法を提案したということでフォードの功績は大きいといえるでしょう。また、フォードが販売していたT型フォードという左ハンドルの車は、交通の安全性の向上や実用性のある大衆車という部分だけでなく、ベルトコンベアの流れ作業などの近代的な大量生産の手法で製造された世界初の量産車ということもあり、工業や経済などの幅広い分野に非常に大きな影響を及ぼしました。
日本国内は左側通行のため車は基本的に右ハンドル車となりますが、輸入された左ハンドル車に対してハンドル規制等はありません。しかし、北米のように右ハンドル禁止といったルールが設けられている国では、輸入車に対してもハンドル規制があるため、日本の国産車を輸入をするにはハンドル位置を変更し、適正審査に通す必要があります。実はこの北米での右ハンドル禁止ルールに対し、対象外となるのが初度登録から25年経過したクラシック車です。そのため、日本車のなかでも25年以上経過したネオクラシックカーといわれる車が、北米をターゲットとして輸出車としての人気が高くなっており、経過年数次第でコストを掛けずに輸出ができることから、海外輸出ディーラーが国内まで買取にきていることがあるようです。
まとめ
世界の国や地域によって左側通行・右側通行と異なるルールに至った経緯は、諸説入り乱れており確実な理由を見つけることは難しいようでした。海外旅行等でレンタカーを借りて現地でも運転をする予定があるという方は、その地域によってルールが異なるため前もって確認しておくと安心でしょう。
また、ハンドルの左右の位置については、車道側がデファクトスタンダード(事実上の標準)になっています。車道側に運転席があり、助手席側の同乗者が安全に歩道側に出れるようにという安全への配慮から、その地域の交通ルールに合ったハンドル位置が決められていました。
交通手段において自動車は欠かせない乗り物ですが、走行スピードや車自体の重量もあることから、万が一車同士や歩行者との交通事故が起きてしまうと大きな危険が伴います。今回の記事で取り上げた、地域ごとの交通ルールが少しでも安全運転のお役に立てば幸いです。